2004年11月25日

正義ってなんだ!?

ハットリスです。

小さい頃は誰でも正義の味方に憧れれるものです。ファミコンにおいてもそれは同じ。主人公=正義になりきり、敵キャラ=悪を打ち倒す。その心は、現在のゲームキッズも変わらず持っている事でしょう。幼い僕もまた、ヒーローに憧れる普通のファミコン少年でした。

漫画やアニメのヒーローと自分を重ねる様に、「ドンキーコング」をプレイしている時も僕は正義のマリオになりきります。囚われのレディを救うんだ!悪のドンキーコングをやっつけるぞ! そんな風に何の疑問も無くゲームを楽しんでいました。しかし・・・

続編「ドンキーコングJr」をプレイした時、その考えを一気に覆される事になったのです。

「へぇ、今度の主人公はドンキーJrか。捕まった親ドンキーを助けるんだな。じゃ、悪い奴は・・・」

「マリオ!?」

そうです。前作で正義の味方だったマリオは、続編では悪の親玉なのです。レディを救い出す時にはあんなに勇敢だったマリオも、続編ではほら!Jrを殺そうと、悪そうにほくそ笑んでるじゃないですか!(妄想)
ああ、正義と信じたマリオも、ドンキー親子にとっては悪でしか無かったのか・・・ 正義も悪も絶対的な存在しか無い、と考えていた幼い僕には余りに衝撃的でした。

ここからは僕の想像(邪推)なのですが、任天堂のゲームデザイナー、宮本茂さんは草創期のファミコンを通じて、正義と悪の二元論に疑問を投げかけたのでしょう。
正義も悪も、互いの立場によって変わる危うい信条であると。しかし、ゲームを通じて主張を伝えるには当時のゲームはスペックが低く、またプレイヤーはそれを察するには余りに幼すぎました。その後に生まれたRPGでさえ、正義と悪の二元論に終始する作品ばかりだった中で、このドンキーシリーズの主張は時代を先んじ過ぎたと言わざるを得ません。 

その後、発売された「ドンキーコング3」の主人公が誰だか分からない少年だった、という事も宮本茂氏の苦悩の果ての結末であり、それこそが宮本茂の天才たる所以なのでしょう。<逆に迷惑

そして「ドンキーコング」シリーズのそんな深い訴えを受け止めきれなかった当時の僕が、本当は何も考えずにピコピコやっていたのも仕方が無い事なのです。そして、そもそも「ドンキーコング」にそんな深い意味などある訳が無いという事も。


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