先日久しぶりにハットリスと会い、だらだらと夜遅くまでテレビを見ておりました。
そのときの番組は、ゲームクリエーターにスポットを当てつつ「ゲーム内で敵を殺すとき、実際の殺人を意識しますか?」みたいな、ちょっと強引な内容(笑)。
さておき、最後に登場したのはコナミの小島秀夫氏。
スナッチャーやメタルギアシリーズを送り出してくれた、個人的にも大好きなクリエーターさんです。
初めてスナッチャーに出会った当時の僕は、勢いで元ネタであるブレードランナーも好きになったり。懐かしいなぁー。
でも先に結論を言いますと、その番組と小島監督のコメントは、僕にとってはちょっと残念なものでした。
だいたい、以下のような感じです。
「メタルギアシリーズを通じて反戦、反核を訴えているが、一部では批判も届いている。中には、『ゲームで小島の説教なんて聞きたくない』というような意見もあるが、それでも大切なテーマをゲームに託していく」・・・と。
えっ、あれあれ? そうだっけ? 「説教はいらない」というご意見もあったのかもしれないけど、僕自身がソリッドスネーク2を遊んだときの喪失感は、お説教への反発とかではなかったような・・・。
別に、反戦や反核というテーマにも異論はないし・・・・・・・・・とモヤモヤ感を持て余していたら、相方のハットリスが、テレビに向かってこのセリフを言ってくれたのです。
「俺たち、面白いかどうかでつながってるんだろ」
・・・・・・あぁーっ! それだァーっ! そうなんだよ、それ!
僕はまだ3作目を遊んでおりませんが、ハードでかっこよかった1作目に比べ、2は甘さや強引な展開が目立ちました。特に終盤。
なんだか理由もなく「奇跡」で逸れていく敵ミサイル。
アメコミみたいなオジサン(ラスボス)。
不死身っぽかったのに、いざ戦うとなぜか倒せちゃう敵。
大量に出てくる巨大ロボ(メタルギア)をバンバン倒しちゃう主人公・・・。
極めつけは、NGO団体だの、「世界の子供たちのために」だの言い出しちゃう、なんだかえらく博愛主義っぽくなったスネーク(前作の主人公)。
あまりにも不自然な転向に、ゲームの中に反戦反核を織り込んだというより、先に主義主張ありきの教育ビデオみたいにすら感じちゃったわけですよ。
ですから、そういう「ゲームとしてパワーダウン」「登場人物の理屈が気持ち悪い」という批判をも、「小島の説教はいらん、という者もいる」という中にまとめられてしまっているとしたら残念なのです。
僕らの目を良く見て! 辛いだろうけど殻に閉じ困らず、批判をまっすぐ受け止めて!・・・と。
・・・・・・以上、長くなりましたが、こういうモヤモヤの中で飛び出したのがハットリスのセリフだったわけです。
ユーザーとクリエーターをつなぐもの、その最も重要な基準は、ゲームの面白さであると。
もちろん反戦、反核、主義主張をからめた高尚なゲームも大歓迎。
ただ、まず第一に面白いゲームを作ってください。
それが購入者、ユーザーとしての願いでございます。
それに、思想を伝えるにしても、ストーリーや設定を無視して強引に織り込むのはきっと逆効果だと思うですよ。
まずは作品としての土台をしっかりされませんと、反戦がファッションのひとつだった60〜70年代のように、「平和」という言葉が軽薄になってしまうだけではないかなあ・・・などと生意気なことを考えました。
ファミコンと関係のないマジコメント、我ながら誠に遺憾です(笑)。
できればいつも、ゲームを褒めていたいのですけどね。
まあ、こんなことを言ってしまうのも好きならではこそ。今後も小島監督の作品に注目していきますですよ。
ていうか、正直今は、僕が言いたいことを先に言い当てたハットリスに対する嫉妬でいっぱいです(平和は遠い)。
上記リンクはMGS1です。